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  窓の外には皐月の日差しに揺れる、紅葉の新緑が眩しく輝いている。

夏の日差しには、まだほど遠い。それでもここ熊本の5月の陽気は、一歩外に出れば黙っていてもじんわり汗ばむほどだ。あと1ヶ月もしないうちに始まる梅雨と、その先に待ち構えている夏の日照りを考えれば、こうやって部屋の中で仕事ができることのありがたさは身にしみるものがある。そうは言っても、こんなに清々しい5月の晴天の日に、事務所に朝から閉じこもりきりとなると、なんて健康に悪い仕事だとさえ思えてくるのだから、現金なものだ。4月から立て込んでいた仕事は、GWさえも遊びに出かけるのを断念して、さらに閉じこもりきりの状態を崩せないほどだった。

 このご時勢に、休みも取れないほどに仕事がある事自体に感謝しなければならない。何年も前に亡くなった父から教わった、男としてのあり方だ。自分たち子供が、それぞれの仕事、それぞれの役目を担い、それぞれが自身の夢や幸せを求めて巣立って行った。そう、その原点を教えてくれた父だ。

ただひたすらに、ただ寡黙に、男は仕事を、そして家族を大事に・・・。

 

 

 溝口幹雄、会計士、妻と2人暮らし、そして11歳になるチワワのリク。手塩にかけた一人娘もすっかり大人になり、独り立ちして、しばらくして結婚した。今は妻と2人、そしてプラス1匹の生活だ。1階が事務所、2階が住居。内階段でつながっているため、出勤は雨にも濡れず、風にも吹かれずで、通勤時間は・・・、階段22段。寄り道をしなければ、通勤時間は10秒たらずか・・・。

 やはり父の言葉を借りるなら、いや、寡黙な父はほとんど話をしないような無口な男だったから、そんな言葉を発してはいなかったが、その背中が語っていた言葉では、

「仕事があるだけ感謝しろ、男は働いてなんぼだ」

 確かにその通りなのである。それにしてもこうも忙しいのには、さすがに気が滅入ってしまうこともしばしばだ。そんな中での救いは、リクの存在だ。

 

5月4日

 GWだというのに、その日も朝から閉じこもりきりで机に向かっていた。しかし、夕方に遊びに来た娘夫婦の誘いもあり、外へ食事にでも出かけるかということになった。となると、リクは当然お留守番だ。

「リクちゃん、お留守番頼むぞ」

 決して頻繁ではないものの、仕事や、付き合いや、諸々の用事のためにリクひとりでの留守番は珍しことではない。サークルに入れて出かけるのだが、「なんで置いてくの」と、ひどく吠える。子供時からのしつけが・・・。でも、それは言えない。

 今回だっていつもと変わらない、わずか1~2時間のお留守番のはずだった。

 

 馴染みのレストラン。娘婿の仕事の近況や、娘の職場の出来事など、ほのぼのした話で盛り上がり、2時間ほど騒いだ後帰宅となった。

「リクくんただいま!」

 玄関を開けながら声をかけると、何か様子がおかしい。

「ゲホッ、ゲホッ」咳だろうか?

「ぜーぜー、がっー」「ゲホッ、ゲホッ」全然止まらない。

 出かける前は、何もなかったのに、何があったんだろう? 

 抱きかかえたり、喉をさすってみたり、どうしたらいいのかあたふたしている内に、ようやく落ち着いてきた。

 ほっと胸をなでおろしたのもつかも間、しばらくすると「ガーガー」と音が響き、咳き込みが続いた。不安な夜を過ごしたが、翌日は元気も十分で、食欲もあり、咳さえしなければいたって普通の様子だった。突発的に起こる咳の発作は、ひどかった。1~2分で止まることもあれば、10分、20分止まらないこともしばしばだった。これだけ長く咳が続くと、リクも不安な様子であちこちと動き回り、たまらなくなると私か妻のところへすり寄ってくる。

「苦しいから、なんとか助けて」

 そんな声が聞こえてきそうで、たまらない。

 かかりつけの動物病院に電話をしてみた。

 予想はしていたが、留守番電話で、GW中は休診だった。

 不安を抱えたままGWを過ごし、7日に病院へ行って診てもらった。体温測定と聴診で5分足らずの診察が終わった。これという病名は告げられなかった。用心のためと薬が出された。受付で看護婦さんに病名を尋ねると、一度裏の方へいなくなり、「気管支炎ではないかとのことです」と素っ気ない返事が返ってきた。出された薬は、気管支拡張剤と抗生剤だという。

 帰宅してすぐに薬を飲ませた。1日2回。1回飲ませたからといって、すぐに咳が止まるなんて期待はしていなかったが、2日たっても、3日目になっても咳き込みが止まることはなかった。その度に、リクは苦しそうにしていた。

「このままではいけない」

本能的にそう思った。妻にそのことを告げると、全く同じことを思っていたようだった。

 

5月11日

 知人の紹介で別の病院へ行くことにした。熊本市内の少し離れたところにその病院はあったが、いつまでも苦しむリクをそのままにはしておけなかった。

 そこではすぐレントゲンを撮ってくれた。そして、その先生から初めてリクの病名が明かされた。

『気管虚脱』

初めて聞く病名だった。丸い気管が潰れてしまう病気で、症状を抑える薬で様子を見るとのこと。簡単な説明を受け、ステロイドが処方された。

 

 病名ははっきりしたがGW中に抱えたままだった不安は、その先生の説明とステロイドだけでは拭いきれなかった。ステロイドを飲めば、つぶれた気管は元に戻るのだろうか?帰宅してすぐにインターネットで「気管虚脱」を調べてみた。調べれば調べるほど良くない病気に思えた。リクが苦しそうに見えてくる。

 それでも嬉しいことに、薬を飲ませて1~2日は症状が治まった。とりあえずほっとしたが、それもつかの間。すぐに再発した。3日目のことだ。仕事の都合でやむなく留守番をさせることになったのだ。なんとか早く仕事を終わらせたものの、帰宅までは4時間を費やしてしまった。帰宅するとまったく同じだった。長く咳き込み、ガーガーという呼吸が始まり、だんだん酷くなってゆく。

 その夜から、私達夫婦とリクの寝れない夜が続いた。夜中にリクが苦しそうに咳き込む、それも30分から1時間おきにだ。苦しそうなリクを見ていると心配で、少しの咳き込みで私達も目が覚めるようになっていた。

 

 もう一度PCに向かって、ネットで検索してみた。

「犬 気管虚脱」

「気管虚脱 治療」

 そんな中、アトム動物病院のHPを見つけた。

 

「気管虚脱は治る」

 その言葉は衝撃のように目蓋に突き刺さった。2件目の病院で言われたこととは全く違った。インターネットや本で調べた話とも全く違った。どれも治らない、治療法は内科的にだましながら症状を抑えてゆくしかない。

 アトム動物病院の米澤先生は、外科的に潰れた気管を広げるのだという。特殊な器具を気管の外に入れる。手術方法を読んでみても納得のいく説明だった。

 さっきまでは絶望的な文章だけが連なり、何一つ解決にならないようなブログだけだったのに、「外科」「治る」とキーワードを入れると、世界が一変した。何人もの人たちがブログで紹介している。多くのワンちゃん達が米澤先生に手術をしてもらい、何年も元気に過ごしている事を知った。リクの苦しみも取り除くことができるかもしれない。

希望の光が見えてきた。

 

 薬での治療を何日か続けていたが、リクの症状はあまり良くなかった。特に夜中から明け方にかけての咳き込みが酷い。

このまま呼吸ができなくて死んでしまうんだろうか?

心配に耐えれなくなった妻が、2件目の病院に電話で相談してみた。

「ずっと咳をしています。薬の量はこのままでいいのでしょうか?」

そして、一呼吸をおき、意を決して聞いてみた。

「手術をしたら治るのではないでしょうか?」

その言葉に、先生の態度が急変した。

「手術をすれば死なせますよ。そんな手術をしているのは、一部の変わり者だけで、熊本にはいないよ」

猛反対だった。

妻はショックを受けた。やはり手術は良くないのか熊本には手術をしている病院もない。少しだけ見えていた光が失せ、灯りひとつない闇夜の中に放り出されたようだった。

 

19日薬が無くなったので病院へ薬をもらいに行った。先生が、

「もう少し飼い主さんも我慢してください。薬で症状が落ち着いてきますから。舌の色が紫色にまだなってないでしょ。だからまだ大丈夫ですよ」

言葉は強い口調だった。その口調に余計に不安がつのった。

紫色になったら死ぬってことか?

病院の帰りに私が、「薬では症状は抑えることはできるけど、治らないよね。また留守番させると治まっていた症状も悪化するに決まっているよね。」と妻に言うと、妻が「元気で食欲もあるのに、息が出来なくて死なせるなんて・・・このまま悪化していくのをじっとみているだけなんて・・・辛すぎて、私が倒れそう」と泣き崩れそうな声を絞り出した。リクの性格から、薬を飲んでいても咳き込みを繰り返すこと十分考えられた。

 

また帰ってパソコンをにらみ込み「気管虚脱」に関する記事を検索し読んだ。九州でも大分と福岡に手術をする病院も見つけた。ただ症例数がどうなのか不明だった。

「PLLP」

米澤先生が独自に開発した手術方法で、その器具を気管の外に入れて、つぶれた気管を広げるのだという。2013年で300を超える症例実績だという。他の先生は、それを真似てやっているのだろう。「最先端はやっぱり東京かなぁ~、東京は遠いなぁ~」と少しぼやいた。

 

病院から帰ったその日、妻が思いきって米澤先生にメールをすると言いだした。夫婦二人で迷っているよりまず相談してみようと。「突然ですが・・・」米澤先生へリクのレントゲンの写真を添付して症状を書いてメールを送った。メールを読んで返事をしてくれるのだろうか、レントゲンをみて手遅れですと言われないだろうか不安いっぱいだった。

翌日20日、妻がメールを開くと、なんと米澤先生から返事が届いていた。妻は先生が熊本まで来て手術してもいいという返事にすごく感動した。

でも、「東京へ行こう!」と立ち上がった。

私は少し冷静に考えてみた。東京から米澤先生が来てくれて、近くの動物病院で手術をしてくれると言うことは、とても魅力的だった。リクもその方が楽に違いない。でも、米澤先生やこちらの先生のスケジュール調整、何人体制で手術が可能なのか、そんな事などを考えると、近くの病院で手術してもらうより、設備の整った病院、何例も経験のあるスタッフで手術をしてもらった方が、いいんじゃないのか。リクに万が一のことがあっても二人とも後悔しないはずだと思った。

東京行を決意した。

その日に米澤先生に妻がメールで手術をお願いしたい旨を伝え、5月27日月曜日に手術をしていただくことになった。

 

5月25日

 移動方法は車。車で行くのがキツイことは十分わかっていたが、人を見ると吠えるリクを公共機関で連れて行くことは、自殺行為だった。飛行機? 手荷物で預けたケージの中で吠え続け、誰も見ていないところで一人亡くなっていたら・・・。そっちの方が後悔する。遠くても、大変でも、私たちの選択肢は車以外になかった。

出発する前に娘夫婦がきて、リクを真ん中にして家族写真を撮った。しばらく居なくなる事の寂しさ感じているのか、万が一の事を思ったのかも知れない。

25日の土曜日、午前9時、さあ出発だ。夫婦とリクの3人、熊本から東京のアトム動物病院まで1200キロ、長い旅が始まった。

目標は翌日26日、日曜日午前10時にアトム動物病院到着予定。

 

リクを一人だけ車においてパーキングの店内で食事や買い物ができないため、休憩や食事は車の中や外のベンチを利用するしかない。だから、大きなクーラーを用意し、中には妻が握った沢山のおにぎりと飲み物がぎっしり。もちろん、リクのご飯も忘れずに。そのクーラーは助手席の足元に置き、上には大きな座布団。助手席では足が伸ばせて、仮眠が取れる寸法だ。毛布も用意した。欠点は、一人が眠っている時にはベッドになっているので、飲み物が出せないこと。ま、それでも、準備は万全。

 

家を出て、10分も走れば九州自動車道の八代IC。ここから長い高速の始まりだ。

リクは、落ち着いている。咳は時々出るが、ガーガー苦しい感じはない。薬のせいでトイレが近いので1時間から2時間毎にトイレ休憩してあげなければならない。

まずは、吉志パーキングエリア。まだ1時間ちょっとだが、九州での休憩はこれが最後。九州で初めてできたパーキングエリアでもあり設備は充実しているが、今日の自分たちには何の用もない。芝生の上でリクのトイレだけで済ませて、すぐに走り出した。

門司から関門海峡を通って、本州へ突入。先は長いぞ~と、気合を入れてみる。

 

下関から高速は中国自動車道と名称を変えた。秋吉台付近の美東サービスエリアでもう一度休憩。ここも大きなサービスエリアだ。土曜日ということもあって、停車している車の量も人も多い。大型バスでの観光客も、若い人達のグループもたくさん。梅雨前の晴天の土曜日とあって、みんな楽しそうにはしゃいでいる。そんな喧騒も、今の自分たちには全く耳に入らない。リクは犬がいると気になって近寄ったり、少し吠えたりしているが、私たち夫婦には音のない世界がそこにあった。少しでも早く東京へ、まちがいなく明日の朝10時はアトムへ。その思いだけが心を占め、まわりから完全に隔離され、別の世界にいるようだ。おそらくは、誰かに話しかけられても気がつかなかっただろう。

 

中国自動車道、それなりの交通量であったが、渋滞もなく順調に進んでいる。二人の会話は、家を出た最初は弾んでいた。見送った娘夫婦のこと、残した仕事のこと、娘が生まれる前に行った旅行のことなどを思い出しながら、会話が続いていた。東京に行って手術を受けたら元気なって帰ってくるという期待感に胸躍り、長旅の高揚感も手伝っていたのだろう。そして、関門海峡を越えた辺り、リクが我が家に来た時のことが話題になった。そこでぱったりと会話が途切れた。

 

米澤先生を信じて、その手にリクを委ねて、元通りの生活が戻って来る。リクは必ず元気になると信じて片道1200kmの旅路についているのだけど、その心のどこかには不安があった。

気管虚脱の手術をした飼い主さんのブログを何度も見た。何人もの成功して元気にしているという記事を読み返し、夢のような話だと思ったが、本当は不安だらけだった。よく見れば10歳過ぎの犬の書き込みはなかったし、吠えるほど気管虚脱が悪化すると知り、独りになるリクが吠え続けるのは間違いなく、入院中はどうなんだろうと心配になった。自分たちから離れ、一人になったリクはどうするんだろう、食餌は取ってくれるのだろうか、寂しくはないだろうか、吠えることでもっと悪くなるのではないかとかなど、気になる事ばかりだ。

ただ、その不安を話しだせば、キリがない。たぶん二人とも同じ不安を抱いているのだろう。だからこそ、どっちかがそれを口に出したら、堰を切ったようにあふれ出すに違いない。余計に不安になるに違いない。だから、ほとんど会話がなくなってしまった。

 

・・・そう、リクはこんな縁で我が家に来た・・・

元々は知人が飼っている犬だった。ただ小さい時から週末だけは面倒を頼まれて、我が家にお泊りに来ていた。

そんな中、妻が独立開業することになって、事務所兼居住用のアパートを一部屋借りることにした。娘は県外の大学に進学したし、仕事で遅くなったり、泊まりこんだりすることもあり義母を独りにする事が多くなっていった。義母が寂しいのではないかと思い「犬でも飼おうか?」と話したら、母から返ってきた言葉は「リクがいい」だった。ダメもとではあるが、飼い主の知人に頼んでみることにした。理由を聞き快く承諾してくれた。そしてリクは我が家の子となったのである。

そして、今、リクは我が家にとって、私たち夫婦にとって、かけがえのない存在となった。リクのいない生活が考えられないほどの家族となった。

 

甘えん坊で独りが大嫌い。前の飼い主がそうしたのか、義母が甘やかしたのか、それとも私達夫婦のせいか・・・。仕事で出かけようとしているとわかるらしくソワソワしだす。当然留守番になると「ギャンギャン」吠える。出かけた後のリクの様子は分からないが結構な時間吠えるいるような気がする。

 

1~2時間ごとのリクのトイレ休憩、何度運転を交代しただろう。広島を越え、岡山を過ぎ、順調に進んでいた。しかし、やはり今日は土曜日。夕方には兵庫に入ったが、テールランプが次第に増えてゆく。バックミラーには刻々と移り変わり行く夕暮れの空。やがて大きなオレンジ色の太陽が沈んだ頃、渋滞に捕まってしまった。

先に進みたい気持ちは山々だが、体力の温存を考えなければならない。無理せずにパーキングに入り、おにぎりの夕食をとり1間半ほど休憩した。

この辺りが、ちょうど東京と熊本の半分の地点となる。やっと半分、そしてまだまだ半分。あまりゆっくりもしてられない。渋滞も落ち着いてきたので出発した。もうあたりは暗くなっていた。

東京まで車で行くなんてもちろん初めてだ。そんな無茶なことをするヤツがいるなんて、考えたこともなかった。まさかそれが自分だなんて。そして、今こうして走り続けている。自慢するくらいの方向音痴なのに、ナビがあるから大丈夫と自己暗示をかけながら。それにしても、大坂過ぎてからの高速はジャンクションが多すぎる。初めて走る自分たちはもうナビに釘付けで、ナビの言う通りに走らせるしかない。右に行けと言えば、右に。左に回れと言われれば、何の迷いもなく左に。それでも、ナビがなかったら、絶対東京にはたどり着けなかっただろう。ナビ様、神様、仏様!?

 

日付が変わって26日、名古屋を過ぎ、AM1時過ぎ豊川の赤塚パーキングで仮眠した。残りは300km。順調にいけば4時間ほどで東京に着くだろう。

クーラーのベットがあると言っても、座席シートを倒して寝るものだから当然熟睡はできていない。何度か眠り、何度か目が覚めかけ、疲れからまた寝るのだが、また覚め、そんな時間を繰り返した。その度に、漆黒の夜空が少しずつ色を持ち始める。深い青みを持った群青、東の赤から西の空にまだ暗さを残した何色ものグラデーション。そして、小鳥のさえずりの賑やかさに目を覚ました時は、すでに日が昇り晴れ渡った爽やかな青色だった。

車内で寝るなんて何十年ぶりだろう。20代の頃は友達と街に飲みに出て朝方まで車で眠り、陽が出てきたころ運転して帰っていたっけ。その頃以来かな。

3時間ほど眠った計算になる。それでも、しっかり目が覚め、頭は冴えた。

よし、東京へ。いざ、アトムへ。

AM5時過ぎに再スタートを切り、三ヶ日JCTから新東名へ入った。広くてカーブの少ない出来立ての高速は快適だ。1時間ほど走ってから朝食を取った。メニューはもちろんおにぎり。パーキングに入ってくる車の量も少しずつ増え始めている。リクのトイレを早々に済ませて、また車に乗り込んだ。何度運転を代わったことだろう。何度パーキングで休憩したことだろう。それでも残り200kmを切った。残りわずかだ。

運転は妻に代わった。リクは膝の上でのんびりしている。富士山がすごい。雲はすこしあるが見事な晴天だ。その空の青と、頂上から半分を真っ白く染めて濃い藍色に広がる裾野の広大さは、圧巻だ。新東名の緩やかなカーブに作り出される微妙な角度によって、朝の光が頂上付近の雪面に反射してキラキラと輝きながら降り注いてくる。

こんな富士山は初めてだ。

 

それなのに妻との会話は弾まない。富士山の話をしても、運転に集中する彼女にキラキラ降り注ぐ光は見ることができまい。ハンドルを両手で握りしめ、厳しい瞳をしている。実際に、「富士山がすごいね」と振ってみたが、「そうね」と答えるだけで会話は続かない。

景色から目を話すと、リクのことばかりを考えてしまう。一人で置いて帰らないといけない寂しさ、手術や入院中の心配など、話したらキリがない。

気丈に見えるが、彼女も同じ事を思っているんだ。

 

何気なく「リクがしばらく居ないと寂しいね」とつぶやいた。

妻からの返事はない。

東名に合流し、車の量も増え始めた。御殿場から山合いを抜けるカーブが多くなったために、運転に集中しているせいか。

聞こえないくらいの小さな声だったしな・・・。

それでも、ふっと自分自身に言うように「帰りはさびしいなあ」

それが3回目のつぶやきだった。

ついに妻がぶち切れた。

「我慢してるんだから言わんでよ」

 

リクもビクッと起きて、きょとんと彼女を見つめている。

気持ちは同じだよ。こんなに小さくても家族の一員だもの。リクの居ない生活を考えると1週間でも寂しさが込み上げてくる。

「リクは今日は長いドライブだなぁって思っているのかな」

「どこにいくのかなって思っているのかな」

「リクが元気になる(呼吸できる)ように、米澤先生のところに向かっているんだよ」

リクの背中を撫でながら、心の中でそっとつぶやいた。

 

・・・リクが我が家の一員となってから・・・

リクが家族となってからも、仕事で家を空けることが多くなった。母の病気が発症し、透析のために週3日の病院通いが始まった。午前中だけだかリクは一人で留守番をしていた。リクは留守番が嫌いだ。「ワンワン」というより虐待をうけているかのように「ギャンギャン」鳴き続ける犬だった。そのため、母はリクが心配で、病院帰りに疲れた身体でも事務所にわざわざ廻り、留守番しているリクを迎えにいき面倒を見てくれた。その母が入院した時はリクが心配だったのだろう、見舞いに行く度「リクはどうしてる?」といつも聞いていた。病院の駐車場までリクを連れて行くと、駐車場まで降りてきてリクと会って喜んでいた。

その母も天国に行き居なくなって、一人で留守番をする時間が多くなり、そう言えばギャンギャン鳴く日も多かった。しばらくして家も自宅と事務所を兼用する現在の場所へ移つり、一人でお留守番はそれほど多くは無くなってきたのだが・・・。

やはり、それでも鳴いてしまう日々が続いていた。

 

そんなことを思い出しながら、

「留守番で鳴きすぎてるのも気管虚脱の原因だろうなぁ」とやはり心の中でつぶやいた。

 

いよいよ車が増えてくる。海老名PAで運転を代わり、横浜町田を過ぎた。緑が少なくなり、入れ替わるようにビルが立ち並ぶようになってきた。そしていよいよ東京インターを過ぎ東名が終わり、首都高へ入った。大きな橋を渡ると、3車線が2車線へと変わり、くねくねと曲がりくねった蛇のような道路が、ビルとビルの間をすり抜けるように右へ左へ、上へ下へ続く。ビルだらけの大都会に、大蛇がスルスルと入り込んでいくような感覚だ。

 

もうどの辺を走り、どの辺まで来たのかさっぱりわからない。とてつもない数の車が、右から左から、入っては出て行き、車間距離なんてほとんどないようだ。ただただナビの言う通りに進むだけ。それでも慣れない首都高では、ナビを凝視することもできない。

長い長いトンネルに入り、やがて陸上へ出ると高速5号線。そして中台インタチェンジで高速を降りるとナビが言った。これでやっと長かった高速が終わった。5分も走るとアトム動物病院に着いた。AM8時過ぎだった。

 

ここがリクの身体を治してくれる聖地だ。

 

やっとたどり着いた。熊本を出発して1200km、23時間が経っていた。

開院まではまだ時間があるので、車を止める駐車場を探した。すぐ近くに見つかった。なんと向かいには公園があった。しばらくリクとの散歩は出来ないだろうから、少しだけ散歩をさせようと駐車場に車を止め公園へ行った。

が~~ん!

なんてことだ。

「公園内では犬を散歩させないで下さい」看板が目に入る。仕方なくリクは抱っこをして二人でベンチに座り、時間を過ごした。ここでも妻と終始無言。この1時間は、一番切なかったかなぁ。診察の後にしばしの別れが待っているんだ。

少し曇りになり陽が隠れたので、公園の周りを少し散歩した。リクが東京を散歩する。たぶん一生に一度の経験だろう。

 

5月26日、日曜日。

予定どおりAM10時前にアトム動物病院へ行く。受付で問診を受けた。今までの経過、今飲んでいる薬、その他の病気があるかないか、そんな事を話した後、少し待つだろうと思い、待合室の椅子に腰掛けようとしたその瞬間。

診察室のドアが開いた。

「よく遠いところをお越しいただきましたね」

米澤先生がそこにいた。

HPやブログで拝見していたし、HPの内容もみてすごく優しい先生と思っていた。始めてお会いしましたが、その思っていいたままの先生で優しさが溢れていました。

「リクちゃん、よく頑張ったねえ~。」

リクの頭を両手でクシャクシャに撫でた後、1200kmの旅路の話、どっちが運転して、睡眠はどうで、リクちゃんはどうしてたか、いろいろ聞いてくれた。

そして、そのまますぐに検査に移ることになった。いよいよ、私たちの手を離れて行く。

「手術はできるのだろうか?」

「手遅れじゃないだろうか?」

「助かる見込みは?」

先生の腕にのり、リクが手元を離れるその一瞬に、そんな不安が胸の中を飛び跳ね回った。

10分もせずに、リクが帰ってきた。X線検査と血液検査。細かな検査は後に回して、まずはこの検査で手術をできるかどうかを判断するという。結果が出るまでさらに10分ぐらいだろうか、待合室での時間がひどく長く感じられた。私たちが不安に駆られている様子を感じたのだろうか、受付のカウンターから米澤先生が顔を出し、ドライブの話を聞いてくれた。

「院長、結果が出ました」

勤務医の先生の声に、にこやかだった先生の顔が、少しだけ表情を変え、奥に消えてゆく。私たちも緊張した。

結果は・・・?

 

4~5分で、再度診察室へ呼ばれた。X線写真を見るためか、部屋の明かりは落としてある。そのPCに映るリクのものであろうX線写真を、米澤先生が食い入るような眼差しでX線写真を見つめている。

数10秒だろう。緊迫感が漂い、ひどくひどく長い時が流れたように感じられた。

X線写真を見つめたまま、先生が切り出した。

 

「大丈夫でしょう。手術は可能です」

 

緊張の糸がほどけ落ちてゆく。このままへたり込見たい心境だった。

来てよかった。1200km、23時間は無駄じゃなかった。

検査の結果が説明された。気管虚脱のレベル3~4だという。正常な気管の構造、気管虚脱になった時の内視鏡の写真、そしてなぜ他の手術法では治すことができないのか、米澤が考案されたPLLPと呼ばれる特殊な器具を見せてもらった。手術の方法、手術の成功率、手術のリスク、術後何年生存できるのかなど、1時間近くじっくりと説明していただいた。

あんなに苦しかったんだ。あんなに心配したんだ。リスクはあっても、必ず治ると確信した。

そのままリクを預けて帰る。手術は、明日だという。手術時間は1時間半~2時間。

リクの命を託そう。

先生が手を差し伸べて来た。

熱いものが込み上げてきそうになったが、何とか堪えた。妻とも握手している。

この人に、リクの未来を託そう。

「さあ、リクちゃん、おいで」

先生の腕にリクが再び乗る。

いよいよだ。リクとの別れに涙が出そうになり、リクもク~ンって泣いている。

リクに顔を近づけて、「すぐに迎えに来るからね」って、そっと言いアトム動物病院を後にした。

 

二人だけの帰路は、ノンストップだった。何しろ、明日は仕事だ。車を置いて飛行機とかで帰った方がいいんじゃないかと米澤先生は提案してくれたが、明日からの仕事はどうしても車が必要だった。

そのまま来た道を引き返す。首都高速5号、環状2号線、首都高3号線へ入りそのまま東名へ。運転を交互に変わり、リクがいないから往路ほどの休憩は取らなくて済んだが、二人とも疲れている事は間違いない。

「とにかく運転を気をつけて」と気遣ってくれた先生の言葉を思い出しながら、事故など起こさないように突き進んだ。

「リクは何で置いていかれたのかなぁって思っているかな」

「他のワンちゃんとしゃべっているのかな」

「鳴きすぎて安定剤打たれているかな」

少しの恐怖を覚えながらそんな事を話しかけてみたが、片方の運転中、もう片方は熟睡しておりました。

「ありがとう」

妻の決断、妻の思い切りの良さがなければ、米澤先生の手術には出会えなかっただろう。呼吸ができずに苦しむリクの姿を、死ぬまで見続けなければならなかっただろう。

自分と同じ思いに立ってリクと過ごしてくれている妻に、そっと感謝した。

アトムを出たのが午前11時。サービスエリアへ立ち寄るのはトイレと軽食のみ。自宅へ到着したのは、日付も変わった翌朝の午前2時だった。帰りは15時間だった。

玄関を上がり、そのまま倒れこむように就寝した。

 

 

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